日本の歴史

戦争で非行少年や人身売買等が増加している時代です。
20歳手前の石井十次は、児童福祉の道に進むか、両親の期待する医学の道に進むか悩んでいました。
四国霊場巡りの途中で、代診にて一人の子どもを預かります。
すでに所帯を持っていた石井十次は子供を連れ帰り、一緒に暮らし始めます。
その後、うわさが広がり、一人、また一人と預かる子どもが増えていき、自宅で育てることができなくなったことから近くの寺院を借りて「日本孤児教育会」を設立したことが後の岡山孤児院のはじまりだと言われます。
しかし、医学への思いも断ち切れずにいた十次は、聖書の「二人の『主』に仕える事は不可能だ」により、医書を焼き医学校を退学、児童福祉・教育に専心する覚悟を決めました。
その後、キリスト教徒であった石井十次は、キリスト教関係者に協力を仰ぎ、県内外の人に理解を求めました。
濃尾地震の際には石井亮一と合流して被災児93名を連れて帰りました。
院の中に小学校を設立し、午前は勉強、午後は実践教育(大工・左官・散髪・印刷・製本・機織り・裁縫など)を行いました。
また、イギリスのバーナードホーム(孤児院)にならって、少人数に分けて小舎制で養育する「家族制度」を実施しました。
主婦(保育士)を中心に子ども十数人が一緒に暮らす小さな家を次々に建築しました。

孤児を無制限に受け入れ、当時は1200名を超えていました。
ちなみに、岡山孤児院は、棄児養育米給与方の受給対象でした。
「親のない孤児よりもっとかわいそうなのは、心の迷い子、精神の孤児なのです」と言っていたそうです。映画「石井のおとうさんありがとう」
石井十次は、ルソーの「エミール」を読み、子どもたちを大自然の中で自由に遊ばせ、学ばせ、働かせる理想郷を作りたいと考えていました。
また、今の孤児院の子供が成長したら理想郷で里親になってもらおうと考えました。
しかし、志なかばにして倒れてしまいました。
ちなみに、児童福祉の4聖人のうちのひとりです。
亡き後、救護法が制定され、「孤児院」が法律で規定されます。
第二次世界大戦が終わり、児童福祉法が制定され「養護施設」に改称、児童の権利に関する条約に批准した後、児童福祉法の改正に伴い「児童養護施設」に改称しました。
石井十次は、日本で最初に孤児院を創設した人物であり、「児童福祉の父」と言われています。
岡山孤児院十二則
- 家族主義 家庭的な雰囲気で生活させる。
- 委託主義 養育を農家等に委託して家庭を学ばせる。(里親の始まり)
- 托鉢主義 寄付金で孤児院を運営する。
- 非体罰主義 児童自身に自分の行為を考えさせ、養育者の体罰による児童の虚言をなくす。
- 宗教主義 キリスト教の教えをベースにした聖書教育を行う。
- 密室主義 人前で児童を叱ることをせず密室で児童と二人だけで行う。
- 米洗主義 児童の能力を発揮するために集団で正しい教育を行い、米ぬかを洗い落とす。
- 満腹主義 食事を無制限に食べさせて情緒を安定にし、盗み癖をなくさせる。
- 実行主義 職員自身が自ら実行して孤児を導く。
- 小学教育 小学校に通学させる。
- 実業主義 退院後の院児の自活に必要不可欠な職業訓練をさせる。
- 旅行主義 小グループで旅をさせ、さまざまな体験をして社会人としての自立につなげる。
ちなみに、石井亮一とは兄弟ではありません。

過去問
保育士試験 令和元年(2019年)後期 児童家庭福祉 問42
次の文は、日本の児童福祉の歴史に関する記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
○ A 石井十次は、「岡山孤児院」を創設し、小舎制による養育や里子委託等の先駆的な実践方法を展開した。
保育士試験 平成29年(2017年)後期・地域限定 児童家庭福祉 問42
次のうち、わが国の児童福祉の歴史について、【Ⅰ群】の施設と【Ⅱ群】の人物を結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
【Ⅰ群】
B 岡山孤児院
【Ⅱ群】
ア 石井十次
- 岡山孤児院を設立したのは、石井十次です。日本で最初に孤児院を創設し「児童福祉の父」と言われています。
保育士試験 平成27年(2015年) 社会的養護 問32
次の文は、1887(明治20)年に石井十次によりまとめられた「岡山孤児院十二則」の考え方に関する記述である。適切な記述を○、不適切な記述を× とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
× A 家族主義とは、収容した孤児や貧児を元の家族へ戻すという考え方である。
- 家族主義とは、孤児や貧児を元の家族に戻すことではありません。石井十次は英国のバーナードホームに習い、保育者1人を母親役として10人程の子ども達と共に生活する小規模宿舎をいくつも建てました。彼らは家族のように生活しながら信頼関係を築き、養育されたのです。これを家族主義といいます。
○ B 委託主義とは、収容した幼児や虚弱児の養育を農家等に委託するという考え方である。
○ C 満腹主義とは、収容後に食事を無制限に食べさせることで、盗癖の過半はなくなるという考え方である。
○ D 実行主義とは、言葉ではなく職員自身が自ら実行して、院児を導くという考え方である。
保育士試験 平成26年(2014年) 社会的養護 問32
次の文は、わが国の社会的養護の歴史に関する記述である。適切な記述を選びなさい。
○ 1.明治期の福田会育児院や岡山孤児院は、仏教やキリスト教の宗教関係者によって開設された。
保育士試験 平成25年(2013年) 児童家庭福祉 問43
次の文は、わが国の児童福社の歴史についての記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
⚪︎ B 岡山孤児院を設立したのは石井十次である。
保育士試験 平成23年(2011年) 養護原理 問129
次の組み合わせのうち、施設名(および創設年)とその創設者として正しい組み合わせを一つ選びなさい。
× 2. 滝乃川学園(1891年)― 石井十次
- 滝乃川学園(1891年)は、石井亮一が設立した日本最初の知的障害者のための福祉施設。
× 5. 岡山孤児院(1887年)― 石井亮一
- 岡山孤児院(1887年)は、石井十次が、ある孤児を引き取ったことを経緯に、孤児救済のために設立した施設。
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