大地震がきっかけに
石井亮一は、濃尾地震で親を失った孤児、特に少女たちは人身売買されていることに大きな衝撃を受けます。

現地に赴き、石井十次と合流してともに孤児の救済にあたり、その少女たちを引き取りました。
知的障害を学ぶ!
石井亮一は、(聖三一)孤女学院を開設して少女を保護しましたが、その中に知的な発達の遅れが認められる少女が2名いました。
「孤女・こじょ」とは、「1人で生きている女性」のことをいい、孤女学院とは孤児院のことをいいます。
石井亮一は彼女たちに深い関心を抱きますが、当時の日本において、知的障害に対する認知はまったくなく、「白痴」と呼ばれて差別されていました。
その後、渡米して知的障害を学びます。
ついに滝乃川学園できる!

石井亮一は、聖三一孤女学院を滝乃井学園として日本初の知的障害児施設となりました。
敷地内には寄宿舎や教室、礼拝堂などがありました。

しかし、立派な施設であった一方、常に財政問題を抱え、運営は厳しかったのです。
その頃、石井亮一は才色兼備の筆子未人と結婚します。

筆子夫人の内助を得て、石井亮一の功績も大きな評価を得るようになってきます。
周囲からの激励により
しかし滝乃川学園の運営は、いつまでたっても安定しませんでした。
追い討ちをかけるように、火事により園児数名が死亡する事故が起きます。
夫妻は責任を感じて学園の閉鎖を決意しますが、貞明皇后をはじめ、渋沢栄一などから激励と義援金を贈られ、事業の継続をあらためて決断します。

渋沢栄一は後に第3代理事長となり、さらに石井亮一を支援します。

肩書き
日本の「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれるようになります。
下記はすべて覚える必要はありませんか、紛らわしいので整理しておきます。
ちなみに石井亮一と石井十次は兄弟ではありません。
過去問
保育士試験 令和元年(2019年)後期 児童家庭福祉 問2
次の文は、日本の児童福祉の歴史に関する記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
× C 糸賀一雄は、日本で最初の知的障害児施設である「滝乃川学園」を創設した。
- 「滝乃川学園」は石井亮一(いしい りょういち)が創設しました。
保育士試験 平成30年(2018年)前期 社会的養護 問11
次の文は、ある福祉に関係する施設の設立に携わった人物の説明である。その人物として正しいものを一つ選びなさい。
この人物は女学校の教頭であったが、明治24年に発生した濃尾地震の被災孤児のための施設、「孤女学院」を開設し、女学校を退職した。その後、入所児童の中に知的障害のある少女がいたことがきっかけとなり、渡米して知的障害児教育を学んだ。また孤児院を、知的障害児を対象とした施設に転換し、施設名称の変更を行った。
○ 2.石井亮一
保育士試験 平成29年(2017年)後期・地域限定 児童家庭福祉 問2
次のうち、わが国の児童福祉の歴史について、【Ⅰ群】の施設と【Ⅱ群】の人物を結びつけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
【Ⅰ群】
A 滝乃川学園
- 滝乃川学園を設立したのは、石井亮一、妻は筆子です。キリスト教精神に基づき、日本初の知的障がい児者のための福祉施設です。
【Ⅱ群】
ウ 石井亮一
保育士試験 平成28年(2016年)前期 児童家庭福祉 問6
次の文は、日本の児童福祉の歴史に関する記述である。不適切な記述を一つ選びなさい。
○ 4. わが国の最初の知的障害児施設は、1891(明治24)年に石井亮一が設立した滝乃川学園である。
保育士試験 平成27年(2015年) 児童家庭福祉 問1
次の組み合わせのうち、「用語」とそれに関わりの深い「人物」として正しい組み合わせを一つ選びなさい。
× 4. 東京家庭学校 ― 石井 亮一
保育士試験 平成25年(2013年) 児童家庭福祉 問3
次の文は、わが国の児童福社の歴史についての記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
石井亮一は、帰国後、孤女学院を地名に因んで滝乃川学園とし、知的障害者専門の施設にしました。
× C 石井亮一は家庭学校を設立し、現在の児童自立支援施設の原型を創った。
× D 知的障害児を対象とした滝乃川学園は、留岡幸助が開設した。
保育士試験 平成24年(2012年) 養護原理 問18
次の文は、戦争や災害と慈善救済事業に関する記述である。( A )~( E )の語句が正しいものを○、誤ったものを×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
現在の児童福祉施設の源流となる民間慈善救済活動の先駆者たちは、公的制度が充実していなかった時代に、被災児童の救済のために多大な尽力をし、社会的使命を果たしてきた。
明治24(1891)年の濃尾地震を契機に、(×A 糸賀一雄)は、わが国最初の(○B 知的障害児)の施設である滝乃川学園の前身となる聖三一孤女学院を開設した。
(○C 岡山孤児院)を創設し、(○D 無制限収容)主義を提唱した石井十次は、明治37(1904)年には日露戦争による戦争孤児を、明治39(1906)年の東北地方の凶作の際には800余人の児童を受け入れた。
北川波津は、明治29(1896)年の東北三陸地方大津波の被災児を引き取ったことから、後に東京育成園となる施設を創設し、大正12(1923)年の(E 関東大震災)では300余人の被災児童らを受け入れた。
保育士試験 平成23年(2011年) 養護原理 問9
次の組み合わせのうち、施設名(および創設年)とその創設者として正しい組み合わせを一つ選びなさい。
× 2. 滝乃川学園(1891年)― 石井十次
× 5. 岡山孤児院(1887年)― 石井亮一
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