糸賀一雄は物語で覚える2施設!日本版ノーマライゼーションの先駆け

文字だけを追って暗記するとすぐにわすれてしまいますので、写真と共に物語として学習しましょう!

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日本版ノーマライゼーション

近江学園(1946年)やびわこ学園(1963年)を設立した「社会福祉の父」糸賀一雄です。

糸賀一雄

糸賀一雄は、県庁秘書課長などを歴任した戦後すぐ、知的障害児や戦争孤児を救うために近江学園を設立しました。

近江学園での糸賀一雄

皇太子殿下からの励まし

何年かたつうちに、てんかんや強度のノイローゼなど重度の障害をもつ子どもたちを集めて、より専門的にじっくり取り組もうと考えていました。

当時の皇太子殿下が行啓された際には、糸賀一雄は「この子どもたちのために特別に考慮された施設をつくって、重症心身障害児の対策を実現したい」と説明しました。

その3年後の宮中の観菊会に糸賀一雄が招待されたときも、皇太子殿下から「重症児の皆さんはお元気ですか」とお尋ねがあり、美智子妃殿下からも「この子どもさんたちのことをよろしくお願いします」とお言葉を掛けられました。

その半年後、びわこ学園が開設されました。

当時のびわこ学園

この子らを世の光に

しかし、国の関心も援助もない時代では貧乏人は施設を利用できませんてました。

裕福な親は施設に持参金付きで我が子を送り込んで、そのまま親子の縁を切ろうとすることもありました。

面会に来る親は世間体を恥じながら、他の親と顔を合わせることすらしませんてした。

糸賀一雄は、『この子ら世の光』という著書を残しています。

聖書からくる『この子ら世の光』あててやろうという哀れみを求めているのではなく、この子たちに夜明けを迎えさせたいということです。

「この子らはどんな重い障害をもっていても、誰と取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。」

と主張しています。

施設存続の危機を乗り越えて

しかし、学園の存続の危機を迎えます。

重症心身障害児を施設内から戸外に運び出すのは、非常に重労働で、職員が子どもを両手で抱えて運び出します。

腰痛などに苦しむ職員が増えていき、看護師ら職員の退職が相次ぎました。

さらに赤字が続きました。

そこで園内に自前の腰痛治療室を造ったり、きつい作業を機械化しました。

また、滋賀県から資金貸与を受けるなどして、なんとか学園は危機を乗り越え今に至ります。

びわこ学園現在の姿(重症心身障害児入所施設)

ちなみに、日本初の知的障がい児の施設を開設したのは石井亮一の滝乃川学園です。

近江学園は日本初の公的な知的障害児施設です。

過去問

保育士試験 平成29年(2017年)後期・地域限定 社会的養護 問11

次の文は、ある児童福祉施設の設立に携わった人物の著書である。この人物として正しいものを一つ選びなさい。

私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。

○ 5.糸賀一雄

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