
吉田松陰が黒船に乗る?
ペリー率いる「黒船の来航」は有名な話です。
当時、ペリーは幕府に開国を要求しました。
幕府の役人は狼狽し、日本国内は大騒ぎとなりました。
松陰もその知らせを聞くや否や、黒船を一目見ようと駆けつけます。
そこにあったのは見たこともない巨大な船。
これまで学んでいた兵法ではこんな相手に太刀打ち出来ないと悟った松陰は、今後は西洋のことを知って西洋の兵学を学ばなくてはならないと決意を固めます。
黒船に乗り込んでアメリカに渡ろうと考えました。
吉田松陰の牢獄での生活
しかし、半年後には謀反の罪で牢獄に入れられてしまいます。
その牢獄生活では、囚人達と付き合う中で、それぞれの囚人が得意な能力を持っていることを知りました。
そして松陰は、互いに得意なことを教え合うということをしていました。
吉田松陰、松下村塾をつくる!
自宅に戻った松陰は、松下村塾を開くとたくさんの若者が集まり、松陰は牢獄での経験を生かした教育を行うようになります。


講義だけでなく、共に話し合う討論会を重視し、今の日本には何が必要なのかを全員で考えていったのです。
塾生を平等に扱い共に学ぶ姿勢をとり、褒めて育てる、その人の才能、長所を伸ばす人間教育でした。
松蔭のベースにある儒学・史学・兵学を総合したものです。
この松下村塾の生徒達には、伊藤博文、高杉晋作、山県有朋、前原一誠などの有名人がいます。
ちなみに吉田松陰の「松」と松下村塾の「松」は何も関係ありません。
過去問
保育士試験 平成30年(2018年)後期 教育原理 問24
次の【I群】の思想家についての記述と【II群】の人物を結び付けた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。
【I群】
A 自宅の書斎の鈴の屋で、古典研究を行い、日本人らしさの探求をした。
B 松下村塾をひらき、儒学・史学・兵学を総合した人間教育を行った。
【II群】
ア 伊藤仁斎
イ 荻生徂徠
ウ 本居宣長
エ 吉田松陰
オ 緒方洪庵
1.Aア Bエ 2.Aイ Bエ 3.Aイ Bオ 4.Aウ Bイ 5.Aウ Bエ
正解は 5Aはウの本居宣長に関する記述です。
本居宣長は江戸時代の国学者です。主な著書に『古事記伝』があり、自宅の鈴屋に門人を集め講義をしていました。
Bはエの吉田松陰に関する記述です。
吉田松陰は日本の武士(長州藩)であり、思想家、教育者でもあります。私塾の「松下村塾」で、多くの若者に思想的影響を与えました。
よって正解は5の組み合わせです。
アの伊藤仁斎は、江戸時代前期の京都の儒学者・思想家です。古義学を首唱し、「古義堂」という塾を開き多くの門弟に教えました。
イの荻生徂徠は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。古文辞学を提唱し、「蘐園塾」を開きました。
オの緒方洪庵は、江戸時代後期の武士・医師・蘭学者で、日本の近代医学の祖といわれています。大阪にて蘭学塾「適塾」を開きました。
その牢獄生活では、囚人達と付き合う中で、それぞれの囚人が得意な能力を持っていることを知りました。>これすごくわかる気がします。ブログの仲間がそれぞれ違う能力をもっています。
僕より劣っているように見えても別のところでは優れた能力を持つ人もいます。
僕は無職なのですがw
無職、身体障害者、老人、生活保護者など、いわゆる社会的にダメだとみなされている人達みんなのいいところを共有して協力しあえばなにかとてつもないことができると思うんです。みんな言うことをなかなか聞いてくれないので現実にはできませんが(;^ω^)
いいねいいね
みんな万能選手であればいいのですが、人間そのようにはいきませんからね。
いいねいいね: 1人