野口幽香は物語で覚える!先駆者であって日本初ではない!

「のぐちゆか」と読みます。

物語まで保育士試験にでませんが、忘れないようにするため記事にしました。

日本の歴史

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野口幽香

貴族の子供を預かる一方で貧しい子供達は…

東京女子師範学校出身の野口幽香は、麹町の近くに住みながら、永田町にあった東京女子師範学校附属幼稚園に勤めており、蝶よ花よと大切に育てられている貴族の子供を養育していました。

当時の東京の3大スラムのひとつが麹町にあり、野口の通勤経路になっていました。

東京3大スラムのひとつ

そこは狭く不衛生な長屋が並び、地面に何か描いて遊ぶボロをまとった子、いたずらをする子、不良、母親に内職の邪魔といわれ外で弟妹をあやす子、くず拾いをする子の姿がありました。

夕方通っても同じ風景です。

キリスト教信者であった野口幽香は、そのまま見過ごせないような気がしてきました。

スラム街の子供の言葉遣いがたちまち上品に!

野口幽香は寄付金を募り、麹町の古い民家を借りて、貧民保育園「二葉幼稚園」を開くことになりました。

二葉幼稚園の様子

親から1日1銭の「おやつ代」を取りましたが、幼稚園の運営は、すべて寄付金で賄い、保育料は無料としました。

戦前の公的保育所はなかった

そこでは、身体や服のノミやシラミを退治し、入浴させ、粗末な弁当(栄養)の心配、病気の治療なども行いました。

すると「おいら」「あたい」「てめェ」「おめェ」といった子どもの荒っぽい言葉遣いは、みるみる「あなた」「~さん」へと変容したといいます。

運動会の様子

野口幽香は、 キリスト教精神に基づき、全ての子どもが愛され、困窮した子供も分け隔てなく養育する理念を持ち続け、保育事業の先駆者と言われるようになりました。

現在の二葉保育園(移転して四ッ谷にある)

ちなみに、二葉幼稚園は後に二葉保育園となります。

日本で初めての保育園は、新潟の新潟静修学校託児所です。

日本で初めての幼稚園は、東京女子師範学校付属幼稚園です。

過去問

保育士試験 令和元年(2019年)後期 児童家庭福祉 問2

次の文は、日本の児童福祉の歴史に関する記述である。適切な記述を○、不適切な記述を×とした場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

○ D 野口幽香らは、託児・保育事業の先駆けである「二葉幼稚園」を創設した。

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